先生は分子生物学がご専門ですが、どのようなテーマに取り組まれているのですか?
私が中心に据えているのは、DNAがどう正しく維持され、私たちの体がどう保たれているのか、という問いです。身近な例で言えば、お酒です。お酒を飲むと分解される過程でアセトアルデヒドという物質に変わり、酢酸を経て最終的には水と二酸化炭素に分解されていきます。アセトアルデヒドは、二日酔いの原因物質、と言えばイメージしやすいかもしれません。
近年わかってきたのは、このアセトアルデヒドがDNAそのものを傷つけているということです。私たちのDNAは二重らせん構造の中に遺伝情報を書き込まれている、いわば生命の設計図です。そこへ余計なものがくっついたり、構造が変えられたりすると、情報が正しく読めなくなる。細胞が本来の形や機能を維持できなくなり、それが体の中で起きると、病気を引き起こす。その代表的なものが、がんです。飲酒量が増えるほどがんのリスクが上がるという疫学的な報告は、国内外を問わず多く出ています。なぜそうなるのか、体の中で実際に何が起きているのかを分子レベルで明らかにしたい。それが私の研究の中心軸です。
目に見えないDNAの傷を、どのように観察しているのですか?
人の細胞をアセトアルデヒドで処理し、蛍光顕微鏡で観察すると、DNAが傷ついた場所にだけ赤い点が浮かび上がります。γH2AX染色というDNA損傷部位を光らせる手法です。アセトアルデヒドを加えた細胞では、この赤い点々が明らかに増える。アセトアルデヒドが確かにDNAを傷つけている、ということです。私の研究でつきとめたのは、アセトアルデヒドが二重らせんの二本の鎖を「両方とも切ってしまう」ということでした。片側だけでなく、両方です。完全に分断された状態になり、こうなるとその場所の遺伝情報はもう読み取ることができません。傷が積み重なれば、細胞はがん化への道を歩みかねないわけです。
ただ、ここで終わりではありません。手法としては顕微鏡が中心ですが、研究の本質は遺伝学です。どの遺伝子がこの「傷つく過程」に関わり、どの遺伝子が「直す過程」に関わるのか。一つひとつの遺伝子の機能をしぼり込み、傷が生じてから直るまでの一連の流れを描き出していく。そういった研究に取り組んでいます。
アセトアルデヒドが、ハサミのようにDNAを切っているイメージでしょうか?
実は、最近少し見方を変えなければいけない発見がありまして。これまでは、アセトアルデヒドそのものがDNAに直接作用して二本鎖を切っているのだろう、と考えていました。ところが詳しく調べていくと、どうもそうではないらしいことが分かったのです。アセトアルデヒドはDNAに作用して、ある「構造」を作る。その構造を認識して実際にDNAを切っているのは、もともと細胞の中にある酵素の方だったんです。
例えるなら、アセトアルデヒドは「ここ、おかしいぞ」というサインを残す存在で、ハサミを入れている真犯人は別にいた、ということになります。お酒を飲み、アセトアルデヒドができ、DNAに切断が入り、それを修復経路が直し、私たちはなんとかがんにならずに生きている。その一連のシナリオの「切る」というステップが、想像していたよりずっと精緻に管理されたプロセスだった。研究を進めるたびに、人体の仕組みは想像以上に丁寧に作られていると感じます。
おもしろいですね! DNAが切れてしまった後、私たちの細胞はどうやって元に戻しているのですか?
DNAの修復には、壊れ方ごとに対応した経路がいくつも存在します。紫外線で隣り合う塩基がくっついてしまった場合と、化学物質で何かが付加された場合と、両鎖が切断された場合とでは、使われる修復システムが違うのです。それぞれの壊れ方に応じた仕組みが、私たちの細胞には備わっています。両方の鎖が切断された場合に使われるのが、「相同組換え」と呼ばれる修復経路です。切れたDNAの端を少しだけ削り、突き出した一本鎖を作る。そこでよく似た配列を別の染色体から探し出し、そこへ入り込んで、失われた配列を新たに合成して埋め戻す。これが組換え修復のおおまかな流れです。
この経路で中心的に働くのが、RAD51というタンパク質です。よく似た配列を探し出す役割を担います。興味深いのは、RAD51を働かせる「アクセル」だけでなく、RAD51を止める「ブレーキ」が複数存在することです。ヒトの細胞でも酵母でも、ほかの生物でも、組換えにはかならず複数のブレーキがかかっている。それはなぜか。逆に言えば、組換えにはきちんと止めなければ「悪いことをする」側面があるはずだ、ということです。私たちはそのブレーキの一つとして、FIGNL1という新規のタンパク質を見つけました。これがRAD51をDNAから外していくことで組換えを抑える、新しいブレーキ役です。
FIGNL1がうまく働かないと、本来仕事を終えたあとに外れるはずのRAD51が、DNA上に居残ってしまいます。残ったRAD51は「似た配列を探してそこに潜り込ませる」というクセを持っているので、必要のないところで染色体どうしを絡ませてしまうのです。そのまま細胞分裂で両側に引っ張られると、染色体の橋が切れてしまい、細胞は増殖できなくなる。いわゆる細胞死です。組換えにブレーキが必要だった理由が、ここでようやく目に見えるかたちになりました。
切られても直せる、というお話でしたが、そもそも傷を作らせない方法はあるのでしょうか?
実はそこに、柿のポリフェノールが関わってくる共同研究があります。2022年に発表したのですが、発想の出発点は、昔から知られている「柿渋抜き」の知恵にありました。渋柿の渋抜きには、お酒をかけるという方法があります。その方法では、柿の中でお酒がアセトアルデヒドに変わり、そのアセトアルデヒドが柿のポリフェノールと共有結合でくっついて沈殿し、渋が抜けていく。アセトアルデヒドとポリフェノールが結合すること自体は、化学的にも知られていたことです。
そこで私たちは、向きを逆にして考えました。柿渋抜きではアセトアルデヒドを使ってポリフェノールを取り除いている。であれば、人の体内ではポリフェノールを使ってアセトアルデヒドを取り除けるのではないか、と。実際にやってみると、人の細胞にアセトアルデヒドをかけるときにポリフェノールを一緒に加えてやると、DNAの傷を示す指標が濃度依存的にきれいに下がっていきました。ポリフェノールがアセトアルデヒドを「先回りして捕まえる」イメージです。ただし、ポリフェノールには非常に多くの種類があり、構成要素も、つながり方も、植物ごと、品種ごとに違います。柿のあるポリフェノールが効くことはわかりました。しかし、ほかのポリフェノールが同じように効くかどうかは、別途調べないと答えは出せません。
まるで身体の中で分子同士が戦っているようですね。なぜそれほどまでに深く、DNAに向き合われているのでしょうか。
学生のころ、ある素朴な思いがありました。DNAの配列が、生物の基本的な情報をすべて持っている。そのDNAが傷つくと病気になる。それを直すことができるのなら、それはほとんど「治療」と言ってよいのではないか。逆に、DNAを傷つける物質を減らし、修復の過程をきちんと理解できれば、私たちはもっと健康でいられるのではないか、そう思っていました。もちろん、いまは「配列がすべて」だとは考えていません。スイッチのオンオフを担うエピジェネティックな仕組みもあれば、細胞種ごとの違いもある。放射線で傷だらけになったDNAを無理やり直したら、原形をとどめない配列が残ってしまう。そんなときはむしろ直さないほうがよい場合もある。DNAをめぐる風景は、当時思い描いていたよりはるかに複雑です。
それでも、根っこにある思いは変わりません。何がDNAに作用し、どんな傷を残し、細胞がどう直すのか。そのプロセスを一つひとつ明らかにしていく。クラシックな生物学そのものです。そしてその積み重ねの先に、いまお話ししたような予防の手立てや、ゲノム編集を効率化する応用が、自然と見えてくるかもしれません。新しいものを、世界で最初に見る瞬間がある。その面白さを、これから学生たちと一緒に味わっていきたい。彼らのパワーで見つけてもらい、私はそれをサポートする立場で、まだ誰も知らないDNAの素顔に近づいていきたいと考えています。