環境管理学科
2025/9/30
野外に真実あり。環境リスクと生態系のつながりを解き明かす。
先生の研究室では、キャンパス内の圃場に設計したメソコズム(人工生態系)と言われるものを用いて、さまざまな人間活動による影響を実験的に評価されているそうですね。研究の詳細を教えてください。
人為の影響の中でも、特に農薬をはじめとする化学物質による汚染と地球温暖化が生物多様性に及ぼす影響に興味があります。農薬の使用は品質と収量確保のために有用ですが、農業生態系にとっては脅威にもなり得ます。さらに近年では、地球温暖化の問題も考えなくてはなりません。どっちも待ったなしの環境問題です。農薬と地球温暖化、それぞれが生物多様性にもたらす影響は世界的に数多く研究されていますが、我々の研究の特徴は、農薬と温暖化が複合的に絡んだ場合のダメージについても調べていることです。

圃場内に設置したコンテナには、疑似的な水田の生態系を作っています。そこに4つの処理、すなわち何もしない「無処理」、農薬の影響を見る「農薬処理」、温暖化の影響を調べる「加温処理」、そして農薬と加温の両方を施した「複合処理」を設計し、それぞれの処理に対する生態系の応答を比較しています。なお、加温処理のコンテナでは、IPCC(気候変動に関する政府間パネル)による温暖化予測のワーストシナリオに沿って、水温を無処理とくらべて常時4℃上昇させています。このような自然環境に近い状態を再現して行う比較的規模の大きな実験を「メソコズム実験」と言いますが、コストも人手でもかなり必要で、そう簡単にはできません。この分野の研究は、ヨーロッパが強いですが、日本においては我々のグループが実績的にもトップレベルにあります。
農薬や温暖化の研究は、実験室内でビーカーを使った生物試験でも可能です。むしろこのアプローチは費用対効果が高く再現性もとりやすいため、リスク評価の観点ではメリットがあります。しかし、現実の世界は、刻一刻と環境条件が変化します。その場合、実験室内で得られた予測結果が必ずしも野外にも当てはまるかと言えば、そうとも限りません。むしろ、乖離することの方が普通です。現実味のある評価を行うためには、やはり野外での検証が必要不可欠でしょう。「ことの真実は野外にしかない」というのが本研究室のポリシーであり、実際、この研究室にはフィールドワークを望む学生がほとんどです。

確かに、温暖化がより進行すれば農業にも影響がありそうですね。
温暖化が進むと生物の季節性も変わってきます。植物が生長して花を咲かせるタイミングに温度は非常に重要ですので、気温が上昇するとそのタイミングが大きく変化(前倒し)する可能性は否定できません。仮に、花粉を運ぶ昆虫も同じように温度で活動が規定されるのなら、単に時期がスライドするだけですが、そうでない場合は、植物と昆虫の共生関係が崩れてしまい、植物多様性の減少に直結することだってあり得るわけです。当然、その影響は植物を利用する昆虫類にも波及し、その昆虫を食べる上位の捕食者にも連鎖していきます。
水田においても、気温の上昇によって何かがずれ込んでくるかもしれません。そうなると、今までの農事歴(農業のスケジュール)の通りに農薬を撒いて、果たして害虫防除が最適化できるのか。場合によっては、散布の時期や回数を変えないと効果が現れない可能性だって考えられます。そういったことを学問的に証明して、あとは現場の方々に判断してもらいます。この研究成果を踏まえて、農家さんによっては多少収量が減ったとしても生物多様性を確保できるならと、有機農法や減農薬を選択するのも正解ですし、やはり品質も担保され収量減も回避できる農薬の施用を続けるという判断も正解です。どのような選択をするかは農家さんの権利であるはずです。絶対にしてはいけないのは、私たち科学者が「こうするべき」と言うこと。科学者は常に中立でいなければなりません。あくまで判断材料を提供することだけに徹するべきと、少なくとも私は考えています。

水田のメソコズム実験では何を測定するんですか?
水田内には多様な分類群の生物が生活しています。植物、プランクトン、水生昆虫、底生生物、魚類、カエル等々。だから、それぞれの生物について、生物量(個体数)をカウントしたり、体サイズを計測してみたりします。水田内の生物多様性を評価しつつ、アウトプットとしてのイネの生育や収量も測定します。植物は基本的に、生育が良い時には光合成するために上に伸びようとします。逆に、生育環境が良くない時には自らの生存を優先して地下部(根)にエネルギーを貯留したりします。
無処理のコンテナでは、現在の環境下で期待できる収量が分かります。それに対して、農薬を入れたらどういう状況になるか。害虫は防除できても、同時に水田内の非標的生物も減れば、イネの収量に間接的であれ何らかの負の影響がもたらされる可能性は否定できません。また、水田内の水温が上昇した場合はどうか。稲の生育がむしろ促進されて、結果、収量が増大するケースだって考えられます。そうなると、温暖化はすべてにおいて完全悪だとは言い切れなくなるのではないでしょうか? 誰の目線で何を基準に物事を捉えるかによって、善や悪は簡単に変わります。だからこそ、このような人為の影響が農業現場に何をもたらすのかを実験で科学的に証明するわけです。さらに、複合処理における農薬の影響が1で、温暖化の影響が1の場合、それが組み合わさると影響が2倍となるのか、あるいは中和して1以下になるのか。そういうことをひとつひとつ、中立の立場で評価していきます。温度上昇下では、農薬の毒性が強まるという意見もありますし、逆に弱まるという意見もあります。もし、温暖化下での農薬使用によって害虫への防除効果が低下すると元も子もない話ですので、農薬メーカーとしてはより強い農薬を作る流れになるでしょう。その場合、私たちは世に出てきた新たな農薬に対して検証を行い、科学的実態を明らかにすれば良いのです。

生物多様性研究は、農作物などの「モノ」を直接的に生み出すことではないと思いますが、そもそも環境管理学科とは農学部においてどのような位置づけにあるのでしょうか?
農業では、収量の確保や増産の技術のほうに目が行きがちですが、それ以前に、生物多様性が担保されていなければ農業は成り立ちません。農作物が育つメカニズムを考える場合、植物は根から窒素やリンなどの栄養塩類を吸収しますが、そこには植物と共生する菌根菌などの微生物との関係性が大きく関わっていたりします。また、土壌を豊かにする役割を、ミミズなどの土壌動物が担っています。このように、我々が目にする農作物はすべて、生物多様性が織りなす生態系サービスの産物なのです。
農学部と言えば、例えば良質なマンゴーを生産する、おいしいメロンを育てる、マグロを安定的に養殖する、薬品の開発につながる物質を探索するといった、モノを生み出すための実学研究をイメージする方が多いでしょう。しかし、農産品でも医薬品でも、多くは生物多様性にもとづく遺伝資源がなければ作ることはできません。そして、その生物多様性や環境の在り様をとらえ、守り育てていくための方法について、私たち環境管理学科の教員は日々考え、行動しています。つまり、農学の土台部分を担う環境管理学科があるからこそ、他分野への研究に展開可能なのです。その意味で、環境管理学科は「縁の下の力持ち」なのです。そのプライドを持った学生たちに集まってほしいなと思っています。
多くの人にとって、ミジンコやミミズ、トンボが一種、この世界から消え去ったところで、おそらく何も感じないでしょう。それは、自分にとって価値のあるものとないものを勝手に決めてしまっているからです。メロンにイチゴ、リンゴにスイカ...これらは価値があるものとされていますが、それらが安定して生育できたり甘くなったりするのは、ハチやチョウ、ガ、ハエといった受粉を媒介する生物のおかげです。それに加えて、無数のただの虫、ただの草木たちも、私たちの気づかないところで間違いなく貢献してくれています。それを理解できたときにはじめて、抽象的なイメージの生物多様性という言葉が、すこし具現化されるのではないでしょうか。

生物多様性がなぜ大切かという理由は、人間が生きていく前提だからですね。
生物多様性がなぜ大事かという問いに対する明確な答えは出せません。私にとって最も難しい問いです。それでも、ひとつ言えることは、何のためかは今は分からないが将来世代のために残しておく必要があるということです。我々は、従属栄養生物ですから、生きていくうえで、食べ物が、水が空気が必要です。そこには、生物と環境の相互作用にもとづく「生態系サービス」が大きく関与しています。生態系サービスには、水や食料などの資源を供給する「供給サービス」、空気中の酸素濃度を一定化したり水質をきれいに保ったりする「調整サービス」、美しい景観を見て感動したり落ち着くといった、精神的安らぎを与える「文化的サービス」、そしてそれらのサービスを支える根幹となる「基盤サービス」の4つがあります。これらはすべてつながっており、どれかが欠けても人間生活は危機に瀕します。
次世代にも豊かな社会を残すために私たちができること。現在の我々の知識・能力では解明できないことがあっても、100年後、1000年後の英知を結集した時にわかることがあるかもしれません。例えば、人間が忌み嫌う生物から、もしかすると難病の特効薬につながる物質が抽出されることだってないとは言い切れません。だからこそ、これは必要、これは不要などと、現代人の価値基準や判断で生物多様性を取捨選択することがあってはなりません。とにかく、とりあえずさまざまな遺伝資源を次の世代に残していくことが重要です。それを伝えていくことも、環境管理学科の教員の役割だと考えています。
