先生の研究に「性転換魚」という言葉がありますが、性別を変える魚がいるということですか?
はい。私の主要な研究対象です。魚類は全体で約3万種あり、性転換魚はそのうち400種ほどなので、それほど多いというわけではありません。例えば、高級魚として人気の高いハタ科魚類のクエは性転換魚です。クエは雌性先熟といって、すべての個体が必ずメスとして生まれてきます。成長のスピードが遅く、8歳か9歳ごろに卵を産み、その後10歳くらいになってようやく一部の個体がオスに性転換して精子を出すようになります。
私は魚類の性と生殖に関する生理学的な研究を行ってきており、その応用としてクエのような魚の性をコントロールして養殖に役立てることをめざしています。研究には海産魚を飼う必要がありますので、近畿大学水産研究所白浜実験場(和歌山県白浜町)をフィールドにしています。そこで同研究所の中田久(ちゅうだ・ひさし)准教授と共同で研究を進めています。

クエの話を続けますと、一般に養殖はオスとメスの天然魚を捕獲することから始まります。しかしクエはオスの資源量が少なく、海で捕れるのはほとんどがメス。オスに性転換するまでに死んでしまうケースも多く、養殖に用いるオスを野外で捕ることは非常に難しい。そこでクエのメスをホルモン剤で人為的にオスに性転換させる技術が開発されてきました。今ではその技術を使って世界中で養殖が盛んに進められるようになっていますが、まだまだ課題はあります。養殖のクエは個体の大小にかなりのばらつきが出ます。成長のいい個体は2年目くらいで出荷できますが、3年待たないと出せないものもある。非常に歩留まりが悪いのです。それを解決する方法は、優良な種苗(養殖用の稚魚)をつくることです。よい種苗があれば育ちのいい個体だけが生まれ、早く出荷できてコストも下がります。では、どのように種苗を生産するかといえば、成長の良い個体だけを選んで親魚にし、次の世代も同じようにする。この掛け合わせを10世代ほど繰り返すことで優良種苗の系統が完成します。クエが自然に産卵するのが最低で8歳として、10世代なら80年。とても待てません。だから世代交代の間隔を短くすることが極めて重要です。もし1歳魚に産卵させることができれば、10年後には優良な種苗が誕生することになります。優良品種の作出は魚に限ったことではなく、畜産業では古くから行われてきました。例えば、豚はもともとイノシシでしたが、人類が長い時間をかけて毛が生えなくてよく太る個体をピックアップして家畜化してきました。
80年を10年に短縮! 実現できればすごいことですね!
メスを人為的にオスへ誘導する研究として、2歳の未熟な個体にホルモン剤を投与し、性転換が誘導されるかどうかを実験しました。すると、クエの2歳魚が卵巣から精巣へ性転換することが確認でき、加えて投与2か月後の個体から精子を得ることにも成功しました。精子が15分程度活動する様子も見られましたので、今後はその精子に受精能があるかどうかを調べます。
投与する薬剤は人工的な男性ホルモンである人工アンドロジェン、もしくは女性ホルモンを抑えるアロマターゼ阻害剤です。男性ホルモンでオスに誘導するか、女性ホルモンを阻害してオスにするか、ということですね。このアロマターゼは人間の乳癌の治療にも使われている薬です。魚にも女性ホルモンと男性ホルモンがあり、その点は人間と同じです。大きな違いは生殖器の構造で、人間のように複雑ではなく、精巣と卵巣を簡単に作り変えてしまうことができます。研究を通じて、幼魚でも確実に性転換できることがわかりましたので、今は2歳魚ですが、今後は1歳魚でも性転換が誘導可能かどうかを研究していきます。

ほかに取り組んだのが、日照や水温を調整して産卵期をコントロールすることです。クエの産卵期は6月。夏に病気が出やすい魚で、もし冬にも産ませることができれば、その時期には稚魚が大きくなっているのでリスクが下がります。この実験は現時点では結果が出ておらず、継続研究としています。

ハタ科魚類はメスからオスに変わるということですが、逆のパターンもあるんでしょうか?
あります。クエのようなハタ科魚類のほか、ベラ科の魚もメスからオス。その逆のオスからメスに性を変える雄性先熟の魚はクマノミやクロダイなど。雄性先熟はかなりの少数派です。さらにはオスとメスを行ったり来たりする魚もおり、性転換する魚は性を換える方向によって3つのグループに分類されます。事例を挙げて説明します。
ベラ科のキュウセンのオスは大きくて派手な色をした魚です。海中ではオスが縄張りを持っていて、その中にメスを囲って生きています。これをハーレム社会といいます。オスが取り除かれたり死んだりすると、メスしかいなくなるので、メスの中で最も大きな個体が性転換してオスになる。オスがいなくなった情報は目で感知します。そこから急激に卵巣が退縮して数週間で精巣に変化するというメカニズムを持っています。このように魚が性転換するのは周囲の変化を視覚情報として捉えるからです。
クマノミはアニメのモチーフになったので知っている人は多いと思います。クマノミはイソギンチャクと共生していて、その中に何匹もの個体がいます。産卵するのは一番大きな個体のメス。2番目に大きな個体はオスです。それ以外のクマノミは産卵に参加できず、ペアでしか卵を産みません。イソギンチャクの中でメスが死ぬと、グループの中で2番目に体の大きかったオスがメスに性転換し、残された個体の中の1匹がオスとして成熟し精子を出すようになります。
オスとメスを行ったり来たりする魚としては、オキナワベニハゼがいます。体長が3センチほどの小型のハゼで双方向に性を変えます。この魚はオスが縄張りをつくってメスを囲っています。このオスが死ぬと残されたグループの中で最も大きなメスがオスに性転換します。この点はキュウセンと同じですね。違いは、この中により大きなオスを戻してやると、せっかくオスに性転換した個体が、再びメスに戻ってしまうことです。キュウセンの場合、より大きな個体のオスが来れば、殺し合うかどこかへ行ってしまいますが、オキナワベニハゼはメスに戻って産卵に参加します。
状況に応じてオスになったりメスになったりするとは、驚くべき仕組みですね!
オキナワベニハゼについては、いろんな実験を行いました。2匹のメスを同じ水槽に入れると、個体の大きなメスはオスに性を変えました。2匹のオスで同じ実験をすると、小さいほうのオスがメスに性転換した。元の性が何であれ、個体の大きさが決め手だとわかります。でもそれは実に少しの違いで、わずか0.2ミリの差を目で認識できるようなのです。では、見えるけど接触できない状況ではどうか。中央にガラスの仕切りを置いた水槽に、個体差のあるメスのペアとオスのペアを仕切りで分かれるように入れてみました。するとガラス越しにアピールをはじめ、大きな個体のメスがオスに、小さな個体のオスがメスに変わりました。接触がなくても、視覚情報だけで両方向の性に誘導できたのです。単独飼育も試み、1匹ではメスはオスになり、オスはオスのままでした。つまりオキナワベニハゼはオスになりたがる。それは自分の子供を多く残したいからです。もちろんメスも産卵で子を残せますが、オスならば自身の精子をいろんなメスにかけるだけなので、子孫を残す観点では割がいい。小さな個体に生まれてオスになれない場合は負ける争いはせずに、メスとして子孫を残すほうを選ぶというわけです。オキナワベニハゼは生殖腺が特殊で、常に卵巣と精巣の両方を備え、状況に応じていずれかを発達させるしくみを持っているために両性を行き来できるのです。
このような研究は分野でいえば基礎理学であり、水産ではありません。しかし基礎研究で終わるのではなく、先にお伝えしたように得られた知見を水産に活用して、世の中の役に立てたいと考えています。クエのチビオスはつくれるようになりました。あとはチビメスです。幼魚のメスを成熟させて卵を産ませるようにしたい。かなり難しいことですが、チャレンジを続けていきます。幼魚を親魚としたクエの完全養殖が可能になれば、大幅なコスト削減が実現して、高級魚をより身近な存在にできることでしょう。
