生物機能科学科
2024/7/31
データサイエンスで生物多様化の謎を解き明かす。
「おいしさ」を司る味覚の進化の定説をくつがえした。
先生はどのような興味で研究されているのでしょうか?
私は生物の多様性、そしてそれ司る全遺伝情報(ゲノム)の多様性がどのように生み出されたのかを知りたいという動機で研究を進めています。特に現代は脊椎動物だけでも数千種のゲノムが解読されていますから、その膨大な情報からいかにして進化多様性の遺伝的要因を見つけ出せるかがカギとなります。私たちの研究室ではコンピュータを駆使した大規模なゲノムデータ解析を通して、生物進化の謎を解き明かす研究を進めています。

先生が率いた研究チームの成果を取り上げた新聞記事を目にしました。
脊椎動物の味覚に関する研究を行いました。なぜ味覚なのか。生物はこの地球上の多様な環境にそれぞれ適応して生息しています。そうした多様化のもとになっているのが食性の多様化だと考えられます。生き物が何かを食べるのは、それをおいしいと思うからで、例えば肉食動物なら肉を、草食動物なら草をおいしく感じるはず。であれば、味を感じるための遺伝子も生物ごとに多様性があると推測でき、脊椎動物における味覚の遺伝子を調べました。
味を感じる「味蕾」という器官があります。ヒトの場合、舌に5千から1万の味蕾が存在し、1つの味蕾の中には味を認識するための数十個の味細胞が集まっています。味覚にはうま味、甘味、苦味、酸味、塩味という基本5味があります。味細胞には役割分担があって、甘い物質を甘く、苦い物質を苦く感じるのは、それぞれの味に特化した受容体が発現しているからです。5つの味覚のうち、おいしさを感じるのはうま味と甘味で、そのほかの味覚はおもに毒物や腐敗物などを忌避するための感覚です。だから生物にとってのおいしさを知るには、うま味と甘味に注目する必要があります。
5つの味覚のうち、うま味と甘味が「おいしさ」なんですね。
そうです。受容体のタンパク質には3種類あって、うま味はT1R1とT1R3という2つのタンパク質が合わさってできた受容体が感じ取り、甘味はT1R2とT1R3が一緒になった受容体が感じています。T1R3は2つの味覚に共通ですね。T1R1/T1R2/T1R3の3種類のタンパク質でうま味と甘味の受容体をつくるわけですから、遺伝子についてもこの3種類を調べていけばいいということになります。少しややこしいのですが、T1Rは遺伝子の名称としては「TAS(タス)1R」となります。うま味の受容体はTAS1R1とTAS1R3、甘味の受容体はTAS1R2とTAS1R3という遺伝子から合成されます。ヒトやマウスはTAS1R1〜3の3種類の遺伝子を持っていて、メダカやフグ、ゼブラフィッシュといった魚類にも同じ3種類を持つことがわかっています。これら3種類の遺伝子は脊椎動物に共通であり、祖先がもともと持っていたものが現在まで受け継がれてきたと考えるのが定説でした。結論からいえば、私たちの研究グループはこの定説をくつがえしました。
味覚受容体のTAS1R遺伝子は3種類ではなかった?
この研究では、軟骨魚類や古代魚などの膨大な全遺伝情報(ゲノム)を解析しました。シーラカンス、ハイギョ、アホロートル(ウーパールーパー)、ポリプテルス、ゾウギンザメなど、33種類もの脊椎動物のゲノム情報からTAS1R遺伝子を網蘊的に集めて進化解析を実施。すると驚くべきことに、従来知られていたTAS1R遺伝子1、2、3のいずれにも属さない味覚受容体が次々に見つかり、私は順番に、TAS1R4、5、6、7、8と命名しました。さらにTAS1R2も1つの遺伝子だと思われていたのが2つのグループに分類できたのでTAS1R2A、Bと名付け、TAS1R3にも3種類あることが判明。TAS1R3A、B、Cとし、新たな遺伝子を多数発見するという結果になりました。
甘味の味覚受容体(TAS1R2 + TAS1R3)はヒトやマウスなどの哺乳類においては糖を受容しますが、魚類はアミノ酸を受容します。同じ遺伝子なのに、なぜ機能が違うのか不思議だったわけですが、それは哺乳類がTAS1R2A+TAS1R3A、魚類がTAS1R2B+TAS1R3Bの味覚受容タイプだからであり、そもそも遺伝子が異なっているということで説明がつきました。
結局、哺乳類と魚類の共通祖先は9個の味覚遺伝子を持っていたことがわかり、ヒトなどは進化の過程で失われて3種類になっていった。その一方で、ウーパールーパーは7種類、トカゲやシーラカンスは5種類の遺伝子が残されていて、ヒトよりも多様な味覚を持つ可能性があることを突き止めました。脊椎動物のTAS1R遺伝子がとても複雑な進化を遂げてきたと同時に、古い時期に分岐したさまざまな生き物が当時の味覚受容体を今でも保持しているという発見でした。
トカゲやウーパールーパーは人間や魚類よりも、いろんなものをおいしいと感じているかも知れないということですか?
その可能性があります。研究はそこで終わりではなくて、新しく見つけた味覚受容体がちゃんと機能していたかどうかも調べました。古代魚のポリプテルスと軟骨魚類のゾウギンザメについて、T1R受容体が認識する味物質を特定できたのですが、ポリプテルスの味覚受容体はアルギニンやヒスチジンなど6種類のアミノ酸を検出。興味深いのはこれらが魚類にとっての必須アミノ酸ばかりだということです。さらにゾウギンザメも必須アミノ酸を数多く受容していたことがわかりました。つまり、T1R受容体を必須アミノ酸の検出装置として使ってきたのではないかと考えられます。
これまで味覚については、ヒト、マウス、ゼブラフィッシュといった研究によく用いられるモデル生物でしか調べられていませんでした。もっと多くの生物種を取り上げないと脊椎動物の多様性は理解できないと考えたのがこの研究です。今回の発見は、真の生物多様性を知るためにはメジャーではない生物種まで広げて調べることが重要であるというメッセージにもなったと思っています。

どうして、多くの脊椎動物が味覚受容体を減らしていったんでしょうか?
一つの可能性として、何を食べるかを選ぶときに味覚にそれほど頼る必要がなくなったからではないでしょうか。最初は味覚に頼っていたのが、視覚や嗅覚が発達したことで、味覚以外の感覚が食べ物の選択に利用されるようになった結果、TAS1R遺伝子も失ったのではないか。もう一つの考え方としては、うま味の受容体はTAS1R1とTAS1R3の遺伝子がペアで働くという話をしましたが、同じ1と3のペアでもヒトとマウスとでは受け取るアミノ酸が異なり、他の哺乳類になるとまた違ってきます。同じ遺伝子機能でもある程度フレキシブルに対応できるのです。そういう柔軟性を持った味覚受容体が生まれたから、それ以外のものが必要なくなったという可能性もあると思います。

味覚受容体をより多く失っている生物もいくつかいて、例えばネコはうま味を検知しますが甘味は感じていませんし、クジラ、アザラシ、モグラなどはT1R受容体を持っていません。だから、環境に応じて味覚受容体が失われるという現象は現代でも続いているといえます。
また、TAS1R遺伝子を持っているのは哺乳類から軟骨魚類までですが、これらは有顎(ゆうがく)類というアゴを持つグループです。アゴがあるということは食物を捉えて噛むわけですが、咀噂行動を取るときにその食料が摂取すべき必須アミノ酸を持っているかどうかを探っていて、それがおいしさの起源ではないかとも考えられます。
脊椎動物の祖先は何を食べていたのでしょうか?
何を食べていたのかまではわかりません。でも、何をおいしいと感じていたのかを調べることができれば、食性もおよそ推測がつくのではないかと思っています。
今回の研究では、脊椎動物が進化の過程で多様な味覚の受容体を持つことによって、地球上のさまざまな生息環境に適応してきた可能性を示すことができました。今後はさらに多くの生物種の味覚受容体の解析を進め、脊椎動物における味覚進化の全体像を明らかにしたいと考えています。食性と環境適応の関係性が解明できれば、究極的にはその生物がなぜこれほど幅広い環境で生息できるようになったのかを知ることにつながります。これからも生物多様性の謎に迫っていきたいと思います。
