先生は一般の書店でもよく見かける魚に関する本の執筆や監修も数多くされているようですね。
はい。私の活動には、魚類をおもな題材とした生物多様性保全の普及教育と、生物多様性の解明という2つの柱があります。本については未就学児や児童・生徒などを対象とした著作の執筆や図鑑の監修のほか、魚類を扱うテレビ番組の監修にも携わってきました。生物多様性保全の普及教育の一環として、魚の面白さを知ってもらうと同時に、正しい情報を発信するために行っています。
直接子どもたちと接する機会もあり、幼児たちの体験プログラム「どこでも魚市場」という取り組みを他の研究者と共同開催しています。幼児たちが魚類の解体・調理を見学することと、さまざまな生鮮魚介類を観察するという2つのプログラムで構成されており、この体験の前後で幼児たちの変化を比較検証する研究を行いました。そうすると、たとえ屋内の活動であっても、このプログラムが幼児期に自然とのかかわりや生命尊重を育む機会となることを示唆する結果が得られました。
あとは依頼があれば、高校などに出向いて講演や体験実習をしています。普及教育に取り組んでいるのは、魚好きを増やしたいという思いがあるからです。魚を好きになれば、魚の生息環境にも関心を持ったり、持続可能な利用について考えたりすることにつながり、ひいては魚を守ることになります。水圏生態学研究室では環境教育に興味を持つ学生もいます。自分たちで授業コンテンツを作成するなどして学んでいます。

もう一つの柱、生物多様性の解明についてはどんな活動をされていますか?
一つには、市民が保有している情報を集めて魚類の分布や生息に関するデータを収集・分析することがあります。例えば、釣り人やスキューバーダイビングをする方は写真をよく撮っています。単に釣り人やダイバーが撮り溜めている写真であっても、そこに撮影場所、年日時や時刻、水深などの情報が正確に残っていれば、分布情報の記録として検証が可能になります。それを魚類写真資料データベースに登録すれば、地域ごとに撮影された魚種を集めることで魚類相がわかるし、魚種ごとの撮影地をリストアップすれば分布範囲を知ることができます。
ウェブサイトも貴重な情報源です。WEB魚図鑑というサイトに「さかなBBB」という掲示板があって(現在はコミュニティに移行)、そこに投稿された膨大な量の写真をすべて閲覧・分析しました。すると、これまで日本から報告のなかった外来魚についての記録などが見つかります。実際に放流された外来魚の情報がすぐに釣り人たちによって記録されるという、科学者だけでは限界のある野外調査を全国各地の市民が担うという状況があるわけです。それと魚拓ですね。船宿、釣船屋、釣具店などに残されている魚拓からの情報収集・分析にも力を入れてきました。

魚拓? 釣り人が釣果を自慢するために、魚に墨を塗って紙にベタッと写し取るあの魚拓ですか?
そうです。魚拓には生物多様性の変化を調査するうえで大切な情報が残されているケースがあります。なぜなら生きている魚だけはなく、以前この地域にどんな魚が棲んでいたのかを知る手掛かりとなるからです。魚拓は江戸末期の日本が発祥といわれているのですが、写真や標本が入手しにくい希少な魚でも魚拓が残っていることがある。そこに、捕れた場所や日付などが記載されていることが少なくないのです。魚拓をもとに生息する魚の変遷をたどれば、環境変化の要因を探れるかもしれません。実際、東京湾ではすでに絶滅したとされるアオギスの古い魚拓を釣船屋で見つけたこともありました。東京湾岸の店に残っていた戦前の魚拓でした。

素朴な疑問ですが、魚拓のあるお店はどうやって調べたんでしょうか?
調査対象のエリアで、タウンページで船宿や釣具店を探して、それらすべての店にアンケートを送付。調査許可をいただいた店にうかがって調べました。なかには貴重な魚拓もあって、これまでに500枚以上の魚拓を調べ、その大半で魚種や釣れた場所と年月日がわかりました。ただ30年以上経つと紫外線による劣化などで捨てられる傾向にあるので、失われる前に資料を救出する必要があると感じています。
魚拓の研究では新たな試みも検討しています。魚拓にDNAの痕跡が残っている可能性があり、それを解析できないかと考えています。標本はホルマリン漬けにされて遺伝子がバラバラになっていますので遺伝子解析には適さないのですが、魚拓なら一部可能ではないか。実際、魚拓は墨を塗って形を記録した後、すぐに乾燥させるという手法をとりますが、これは遺伝子が保存されやすい方法であるため、試してみる価値があります。所有者との協力関係は築いていますので、今後DNAを抽出する方法を検討して実施に移したいと思っています。
もう一つ新しい取り組みを考えていて、山形県(魚拓の発祥とされる庄内藩は現在の山形県鶴岡市)にすごく古い魚拓が数多く保管されていることがわかっています。もっとも古いものだと江戸時代の末期。さらに明治、大正、昭和初期までの魚拓が美術館や郷土資料館に大量に収蔵されているようです。同じ場所に棲む同じ魚類でも、時代ごとに遺伝情報が変わる場合もありますので、これらの魚拓の調査を通じて、そうした同一魚類におけるDNAの変遷をたどることができるかもしれません。

市民や先人が楽しむために残した記録が、科学的に活用できるというのはともて面白いですね!
ほかには釣り雑誌も調べています。『隔週刊 つり情報』(つり情報社/辰巳出版)という雑誌があり、私は長年、「珍魚ファイル」という連載を担当しているというつながりがあります。この雑誌には、どの海でどの魚が何匹釣れたといった釣り人のインタビューや写真が豊富に掲載されているほか、巻末には船宿データーベースという資料があって、おもに関東圏の各船宿における釣り物、釣況のデータも一覧できるなど、生物多様性情報がたくさん盛り込まれています。すでに創刊から1000号を超える雑誌なのですが、バックナンバーを分析することで、資源量の動態などを読み取るということもやっています。
ちなみに、私自身もサンプリングも兼ねて釣りはしています。研究室でも月に1回串本の沖へ(和歌山県)で学生と一緒に釣りに出かけます。今使っている仕掛けは、学生が考案した小さな針。魚好き、釣り好きの人にとっては楽しく学べる研究室です。

アオギスは東京湾では絶滅したと考えられるということでしたが、全国的にはどうなのでしょうか?
広大な干潟が残っている山口県から大分県にかけての瀬戸内海西部には生息しています。アオギスが生きるためには干潟の存在が非常に重要です。各地で干潟の埋め立てが行われた結果、このほかの地域では絶滅したと考えられます。魚種ごとに生息に適した環境は決まっていますから、ひとたびその環境が失われるとこんなことが起きてしまう。宅地造成にしてもそうですが、多くの生き物を犠牲したうえで我々の便利な暮らしが成り立っている側面もあります。そのような点にも思いを馳せたいところです。

先生は行政機関の委員を務めるなどの仕事もされていますね。
奈良県自然環境保全審議会専門委員(奈良県レッドデータブック改訂分科会委員)および東京都の保護上重要な野生生物種の戦略的保全方針策定検討会のメンバーを務めていて、レッドリストの選定・評価などに携わっています。最近、東京都の本土部で絶滅が危惧される野生生物について解説した『東京都レッドデータブック(本土部)2023』(令和5年3月発行)が改定され、その淡水魚類の項目を担当しました。あとは大学院博士課程のときから関わっている北海道の自治体があり、今でも訪問するたびに町長や漁協の組合長とコミュニケーションを図っています。そこで状況をお伺いして、気づいたことがあれば環境保全の政策についてアドバイスさせていただいています。こうしたことも含めてさまざまな活動をしていますが、すべての仕事に共通するのは、いかに魚を守り、残すかということです。
