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食品栄養学科

2023/1/18

おいしさとは何か。かつおだしの健康機能から見えてくるおいしさの正体。

近藤 高史 教授/食品化学研究室

先生は「おいしさ」に関連する研究されているそうですが、とても興味深いテーマですね。

食品の三大機能は「栄養」「おいしさ(嗜好性)」「健康」です。私はこのうち「おいしさ」と「健康」の関係について、かつおだしを題材に研究しています。昆布や煮干しではなく、かつおだしを選んだのは特に地域差がなく広く日本で使われているからです。

味覚には「甘味」「酸味」「苦味」「塩味」「うま味」の5つの基本味があり、好ましいのは「甘味」「塩味」「うま味」、好ましくないのは「酸味」と「苦味」です。かつおだしの成分を分析しますと、一番多いのが酸味物質である乳酸で、次に多いのがヒスチジンという苦味物質。ほかにも苦味成分が複数あり、全体としては苦味と酸味が多くを占めています。人間が好ましいと感じるうま味物質に至ってはイノシン酸がわずか3%ほどで、塩味はほとんど入っていません。かつおだしを料理に使うのはうま味を取るためということになっていますが、成分はむしろその逆です。それでも料理人たちはかつおだしにこだわり、我々も実際においしいことを知っています。しかし、この成分と味のギャップは論理的には説明がつきません。

天然かつおだしに含まれる成分 (2.5% かつお本枯節のだし)
かつおだしの成分分析の結果、その多くを「酸味」と「苦味」が占めていることが分かった。

意外です! かつおだしは成分だけを見ると、おいしくない要素が強いんですね。

食物は腐敗が進むと酸味が出て、毒物は苦味を持っています。だから動物は酸味も苦味も遠ざけます。人間の子供も嫌いますね。ところが大人はどうでしょう。苦味のあるコーヒーやビール、酸味の効いた赤ワイン、あるいは刺激のある香辛料なども好んで口にします。これら酸味・苦味食品には、機能性物質を含有しているという共通点があります。コーヒーに含まれるカフェインは脳機能の活性効果があり、ビールや赤ワインには抗酸化作用のあるポリフェノールが豊富です。トウガラシにはカプサイシンという体を温める成分があります。このことから、最初は好ましくない味だと感じても、摂取していくことで良い効果があるのを学習しているという仮説が成り立ちます。食経験を重ねることで、たとえ酸っぱくても苦くても好きになる変化が起きてくる。つまり日本人のだし好きは、学習性の嗜好と捉えることができます。事実、だしの味を学習する機会がまずない欧米人はかつおだしを魚臭いと敬遠する傾向があります。「おいしさ」は味覚だけでは説明できず、「健康機能」との関係を研究することで説明できるのではないかと考えました。

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「健康機能」が食べ物や飲み物を「おいしく」感じさせているということですか?

こんな先行研究があります。ラットに酸味・苦味溶液を摂取させたあとに、胃の中にグルコース(ブドウ糖)を注入するという実験です。グルコースは生きるうえで重要なカロリーです。動物も本来、酸味や苦味を嫌いますが、この実験を繰り返していくと酸味・苦味溶液の摂取量が日ごとに増えていきます。酸味や苦味であっても、生きるために有利であることを学習すると、好んで飲むようになると推察できます。

この研究をヒントにして、私はかつおだしの摂取経験が、かつおだしの嗜好性(好き嫌い)に大きく影響することを示す実験を行いました。かつおだし水溶液をラットとマウスに対して濃度を変えながら与えていく実験です。高濃度から始めて徐々に薄くしていく方法と、逆に低濃度から始めて徐々に濃くする方法を試した結果、最初に濃いかつおだしを摂ると、薄めたものでも好んで飲むことがわかりました。嗜好性は一度発現すると低下しないのに加え、機能性成分の多い高濃度の水溶液を最初に摂ったことで、何らかの良い効果を感じて嗜好性が増加したと推察できます。かつおだしにはカロリーはほとんど期待できませんので、カロリー以外の有用成分が効いているはずです。

そのため、かつおだしの健康機能について調べてみました。疲労改善と高血圧の抑制作用は、私が研究する前にわかっていました。ほかに明らかにできたのは、食物の胃排出の抑制。これは腹持ちをよくして食べ過ぎを抑える効果が期待できます。胃運動の促進や唾液分泌効果もあり、消化のよさにつながります。さらには、空腹感の抑制と満腹感の増加も確認でき、これも過食の抑止になります。

大学生が協力してくれた実験で興味深いデータが取れました。朝食を抜いた学生に、かつおだしの入っている完全栄養食品と、入っていない同一の食品を摂ってもらいました。その結果、かつおだしと一緒に食べると空腹感が大きく下がり、満腹感は上がりました。かつおだしは胃排出速度を15%ほど遅くする作用がありますので、その機能と関係する可能性も考えられます。通常このような実験を健康な人で行った場合、ほとんど差は出ないと予想されるのですが、かつおだしでは目に見えて差がありました。

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かつおだしには、いろいろな健康機能があるんですね。だしを飲むと不思議とホッとしますが、これは健康効果の表れなのでしょうか?

そう、ホッとしますよね。実は、かつおだしは「心」にも効きます。マウスの動物実験を通じて情動行動を調べると、うつの抑制、攻撃性の低下が確認できました。ラットの行動を観察した実験では、かつおだしを継続摂取させると不安関連行動が下がるという結果が得られました。心が落ち着くと攻撃性も下がると思い、これについても実験を行いました。ネズミは縄張り行動をとりますので、住居マウスのゲージに別系統のマウスを入れました。すると、かつおだしを継続摂取させたマウスは最初の攻撃を仕掛けるまでの時間が長く、なかなか襲おうとはしなかったり、追い回すこともしなかったり、明らかに攻撃性が下がっていました。うつにも効果的なようです。うつの治療薬を開発するときと同じ試験法で調べると、かつおだしの継続摂取で抗うつ効果が見られました。動物実験だけでなく人でも試してみたいと考え、だしの文化に馴染みのないベトナムの小児を対象に、日本国内および現地の大学と共同研究を実施しました。結果、陰口などの潜在的攻撃性が下がることがわかりました。

だしは食品であって薬品ではありません。普通は食品でこのような実験をしても、なかなかいい結果は取れないはずです。ところがだしの場合、まるで薬品のようにポジティブなデータがどんどん出てくる。実に不思議です。

かつおだしの摂取により、期待できる様々な効果

心身に良い効果をもたらすかつおだしですが、どの成分が効いているんですか?

実はまだそこが分かっていないんです。どの成分が有効なのかを解明できれば、機能性食品などへの展開も考えられるでしょう。だしは人間が創作したもので自然界には存在しないのですから、野生動物が飲む機会はありません。それでも、人間だけなく実験動物でも心身に良い反応が引き起こされました。かつおだしの受容体というものはありませんので、だしに含まれている成分が体内の受容体や輸送体などに作用して、心身に影響を及ぼすのではないでしょうか。そして、これは人間が獲得した機能ではなく、もともと動物に備わっている性質だと考えられます。

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かつおだしに健康機能があり、食経験による学習で好きになっていくことはわかりました。では、甘味など人間がもともと好む味は学習というプロセスは不要なのでしょうか?

甘味の場合、生まれつき好む味ですが、そこに学習の要素も加わります。もともと人間も動物の甘味の受容体を持っています。脂質などもそうですが、そこにカロリーが含まれていると好ましい味と認識します。甘味物質が口の中にあるセンサータンパク質(甘味受容体)に結合すると、その情報が脳に伝わって甘さを感知します。飲み込んだあとはただの栄養素なのかといえばそうではなく、小腸にも口の中と全く同じ受容体があって、ここでも受け取っています。腸管は味覚を伝える神経とはつながっていないので甘いという感覚は生じませんが、お腹でも必要なものを食べたことを確認しているわけです。その点、甘くて栄養のない人工甘味料は口だけは満足しても、お腹は満足させられません。だから人工甘味料をいくら口にしても、結局は糖分を摂ってしまうことになります。

結局、必要なものは食べたくなるようになっているということでしょうか?

我々が食物を食べる最大の目的は、生きるために必要な栄養素を摂ることです。味やにおいは目的ではなく、必要な栄養素を摂るための手がかりに過ぎません。逆を言えば、必要なものは好きになっていく。野菜嫌いの子供が大人になってから好きになるのはよくあることですね。これも食経験による嗜好ですから、食わず嫌いを治すには体が求める時に食べるしかありません。他方、五大栄養素だけで生きていけるという考えには疑問が残ります。例えば大人が好きな鮒ずしやクサヤなどの独特な郷土料理は、一度クセになるとまた食べたくなります。これらは生きるために不可欠ではなく、それでも食べたくなる現象は栄養素だけでは説明がつきません。味についても、味覚は基本味が5つしかないことになっていますが、6つ目、7つ目の味が存在する可能性もあるはずです。このように、食に関してはわからないことがまだまだ数多くあるのです。

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